2015/07/06

何処やらに 釣りの声きく かすみかな

雨、徒歩で帰宅中。以下、半妄半現。


橋の上で、「何処やらに 鶴の声きく かすみかな」とつぶやく私。「ふふっ 辞世の句ですか。」と言いたくなるぐらい霞ががった遠くの山々、街、川。立派な煙突も今日はてっぺんが霞んでます。

すれ違う人、まばら。皆霧雨を体に受けながらじっと耐えているように思う。じめっっとした畳の部屋で、小魚を肴に焼酎を傾ける姿が目に浮かぶ。
「あぁ、また一日が終わる。今日も疲れたなぁ...」とウトウト。気づけば丑三つ時、鐘はもう鳴らない。聞こえるのは虫の音と雨音だけ。「なんだ、まだ雨が降ってるのか。一体いつまで降り続くんだ...もしかしたら一生止まないのかもしれないな。」と一人つぶやくがもちろん返事はない。夜の闇と冷たい雨が、今この瞬間を支配している。

ぼんやりとぼんやりと夜が明ける。
また、雨の今日がはじまる。


という精神状態で帰宅。あぁ、なんだかつげ義春の「無能の人」を思い出しちゃったよって雰囲気の夕方。こんな日は調子が良く、ノリに乗っている証拠。特に「無能の人」内の「蒸発」で出てきた風景描写と井上井月の辞世の句が印象深く、今日の延岡とマッチしてました。

霞む煙突。

「蒸発」のワンシーン。どんよ~り。

で、延岡のどんよ~り。「誰かが釣りをしている」とはこれ事実。

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