2015/08/31

てげ古物 -archive2-

今日で8月も終わり。延岡に来て早8か月が過ぎた。街はゆったりしてるけどとにかく流れが早い。話は変わって友人が明日から新しい環境で働きだす、転職だ。今、転職したいとはもちろん思わないが何だかその新鮮な感じ、羨ましい。30歳も過ぎてフレッシュな気持ちになれるなんて全く贅沢な話だ。しかし、その分頑張ったんだろう、おめでとう。人生は一期一会というけれど、まさにひとつの「縁」で動いている部分もあると思う、古い物も同じ。やがて自分の身は死して無くなるが、「物の所有」は死までの間に生じた僅かな出会い、縁なのかも。今改めて古物を整理し、購入した場所やその思い出、風景まで案外覚えてるもんだなと感心している。

「アフガニスタンのラクダ用サドルバッグ」
奈良のMARUMARUを物色中、キリムが綺麗に積まれたその一番下、僅かに端が見えたその布がこれである。状態は決して良いとは言えないが、その色目、デザインに一目ぼれし購入。驚きの安さだった。草木染で染色された糸は深みのある雰囲気を醸し出し、私を魅了する。繊細なデザインはとてもラクダのサイドに掛けるバッグとして乱雑に扱われていたとは思えない、それほど頑丈なのだろう。草木染なので虫も食いにくい。購入して暫く経つが全く飽きが来ない。
「色目、デザインが秀逸すぎる手拭い」
「どこの北区やねん!笑」と思わず突っ込みたくなるぐらい立派なデザインの手拭い。東寺の骨董市でボロボロの状態で見つけ、念入りに洗濯を重ねたお気に入りの手拭い。1964年という年代もさることながら、区民体育祭にしては重量挙げとかあるんや...と色々驚きを隠せない一品。
「インドの厚手の布」
大阪の家具屋、TRUCKに年に2度ほどchahatが展示即売会でやって来る。私はそのイベントをどれだけ日夜待ち続けていたことか!!!!DMが届いてから当日まで、とにかくいてもたってもいられない日々が続き、イベント当日は万札を握りしめて出会いを逃さないよう、準備万端の状態で臨んでいた。ビーズの購入に加えてインドの民芸品を物色するのもお気に入りだった。この布はシンプルながらアバンギャルドなデザイン、そして厚手の生地が気に入り2m分ぐらい購入した。もったいなくて何にも使えていない...トホホな品。※展示会の帰りはいつもBirdのドーナッツをテイクアウトして帰るのが楽しみだった。
「古着屋で見つけた東欧を感じる古い刺繍布」
この布は長い。1m以上はある。大阪在住時代、一番オシャレでハイセンスだと思っていたお店、Essential Storeで購入。期間限定で福島区に現れるそのお店は世界各国から集められたありとあらゆる珍品名品が並び、異様な空間をつくりだしていた。今でもそのままであってほしい。
「ポーチとか袋とか、バッグとも言う」
何を隠そうポーチ好き、袋好きである。しかし、ここにきてそのハードルは異常に上がっているためそんじょそこらのポーチには見向きもしない(何様や)。数ある中でも、この3品は上位に食い込む。
「インドのスカート用帯」
京都の寺町界隈は古物を取り扱う店が多い。その中でもお気に入りの店、グランピエ。この店に行けば概ね世界の古物収集欲は落ち着くだろう、というぐらいナイスな店。これだから京都は...と思う部分も多いがやはり名店がいまでも現存する街としては行く価値あるエリア。
「インドのパッチワーク古布」
これまたTRUCKのchahat展で購入。その後、アフリカ雑貨を取り扱うマライカで大量に同じようなものを見たがこれほどいい色目、バランスのとれたものは見つけれなかった(ただの自己満)。しかし正直、四方の貝殻が邪魔すぎて何にも使えないのである。飾るぐらい...?聞くかわからんけど誰か良い使い方教えて。
「アフリカの民衆を描いたろうけつ染め布
噂の姫路セントラルパーク(略して姫セン)で購入したもの。姫センとはただのサファリパークである、という概念を根底から覆した一品。その出会いはサファリが終わった最後、ミュージアムショップだった。何の変哲もないお土産が並ぶ中、壁一面に貼られたろうけつ染め布の数々。明らかにしょうもない土産品とのギャップがありすぎて時空が歪んだ程。うろ覚えだが他にも木彫りの彫刻とかあったはず。絶対また行こう!!と心に決めたが時は残酷、物理的な距離は非情で実現できないまま延岡に来てしまった。淡い期待を胸に大分のアフリカンサファリに近日中行く予定。

てげ古物 -archive1-

ここ最近、「趣味は?」と聞かれると「ビーチコーミング」や「古物集め」というぐらい自分の中で定着しつつある古物。相変わらずモノ自体の価値(骨董的な)には興味がなく、自分の感性と財布と相談の上で購入してます。もちろん着々と増えつつはあるので、できるだけ小さい物に絞って集めています。一部紹介。

「小動物の膀胱で作られた絵具入れ」と「マコンデ族の彫刻」
入れ物は特に何を入れるわけでなくテレビ台に飾ってます。木製の蓋つきってところが購入のポイント。彫刻の方は、家族で数年前に伊勢へ旅行した際、マコンデ美術館で購入。かなり小さい物なので、子供とかが練習用で造ったものかも。

「コア製法で作られたガラス製の香油瓶」
「世界の石不思議発見展」で一目ぼれ、中東系のおじさんから購入。残念ながら輸送途中に欠けてしまった部分があったため(幸いにも)安く頂いた。瞬間接着剤で難なくくっついたのでかなりお買い得だと思う。今でもかなり上位に入る気に入りっぷり。

「煙草の葉っぱ入れ」
大阪の古道具店で購入。主に軍モノや家具が中心の店内において、なぜか日本風の袋がぽつりと壁に掛けられていた...それがこの袋。しかしどこの国のものかは不明。個人的にはヒモが濃紺なところがポイントで購入した。会社のバレーで積み立ててるお金を入れてる。

「タイ山岳地方の小袋」
奈良のMARUMARUで購入。この手の小袋はかなり所有しているが一際小さく、そしてシンプルな色合いに手仕事を感じ手に取った。店主のおじさんも「それが気になるとは...ここ数十年で同じものを見ていないぐらいのモノ」とのこと。山岳地方の民にとって、サイドにある貝は海の象徴、真ん中にはお米をモチーフにした飾りがついている。かなりのハンドメイド感があり、自身で使うものとして作られたと想像できる。

「(おそらく)カラモジョン族のイス」
大阪梅田は第一ビルの地下に不思議な店がある。その名は「ジャンボ」。今もあるか不明だが姫路セントラルパークにも姉妹店がある(そこではろうけつ染めの布を購入したことがある)。
このイスは「店をオープンした30年前から店頭に置いてある」というある意味究極の売れ残り品。店主のおばさんは「ツルカナ族」だと言っていたがその後調べたらおそらく形状的にはカラモジョン族のイスかと。砂漠地域のため皆腰とかにぶら下げて持ち歩き、休憩時に尻に敷いたり枕代わりにするらしい。

「茶筒:年代物のブリキ製と鉄製」
一見一緒だが、素材がまったく違う。小さい方を先に蒲郡の店じまい寸前のお茶屋さんから安く購入、まだ中には少し抹茶が入っていた。しかし、街をよく見て散歩してるとそういう出会いを引き寄せるものだなといつも感じる。本当にたまたま通りかかった道に店じまい寸前のお茶屋さんがあるなんて笑 大きい方はのちに大分の護国神社骨董市で見かけて購入したもの。間違いなく二つ並べたらかっこいいはず!!と思ったので。ともに珈琲粉を入れている。鉄の方がかなり分厚く、保存性は高そうだがこのブリキが薄いくせに凄まじい密閉性のため、ほとんど珈琲粉の匂いまで劣化しない優れもので非常に気に入っている。

「明治ぐらいの笠屋の風呂敷(大判)
どうしてもどうしても、一枚は存在感のある布を所有しておきたいと思っていた。出会いはつい先日のひむか骨董市で。概ねこの手の大きい布は〇万とかするが、これはさほど高くない。というか「延岡からはるばる来た」と伝えたら安くしてくれた笑 シンプルかつ色目も深みがあり気に入っている。

「反物幅の古布:藍と織」
藍染めが好きだ。特に濃淡のはっきりした藍が。無地の方は大阪四天王寺で購入。後ろからつぎはぎしているのが何とも良い。チェックの方も日常使いするのはもったいないぐらい状態が良い。日本のものだろうか、中国の古い布でも同じような織のものを購入したことがある。

「革の表紙に和紙無地の帳簿(デットストック)」
これも先日のひむか骨董市で購入。なんとデットストック!!しかもそこそこ安かった。色目が気に入り購入。店主のおじさんは「最近の若い人はこんなん興味ないから悲しいわ~」と言っていたが確かにそう。でも流行りだすと出回る品の質が落ちるから若者が興味持ち出したら逆に古物に危機を感じる。この品、部屋に飾るとインテリアを一気に和風に変える凄まじい影響力があります。

以上、徐々にこんな感じで紹介していこう。自分の所有物の棚卸にもなってじんわり嬉しい。週末の楽しみがまたひとつ増えたな。ところで今日、買い物に出かけたら近所のきもの屋で「難物市」というのをやっており、勢いで入ってみた。いわゆる反物屋さんだがなかなかの破格である。購入する気はそこまでなかったが、なんだか雰囲気で買っちゃいました笑「100円と500円の難物」。

2015/08/30

てげ場所をゆく -西郷隆盛宿陣跡資料館-

どちらかというと苦手なんです、幕末ら辺。いや、嫌いとかじゃないんです、でも好きでもないんです。本当に「苦手」なんです。なぜかって?それは「血の臭い」がすごくするから。血とか、戦争とかってどこか対岸的な感じで育った(もちろんそうなんですが...)から、あの激動の時代を正面から感じたりすることは喉元が「うぅっ」ってなって苦しいのです。
ですが、行ってきました。西郷隆盛宿陣跡資料館。宮崎なのに西郷さん?と思うかもですが、薩摩軍と官軍が戦った最後の激戦地はなんと「延岡」なのです。以下引用

明治10年に西南戦争が勃発し、西郷隆盛率いる薩軍は政府軍との攻防戦が続きましたが、少数の兵力では勝ち目はなく、西郷軍は北川へと敗走しました。北川町の俵野に宿陣をはった西郷は、ついに薩軍解散の命を出し、陸軍大将の軍服を裏庭で焼いたと言われます。その後、可愛岳突破を敢行し、鹿児島に辿り着いた西郷は城山で自決し、西郷軍は崩壊しました。

ほら、喉元にこみ上げるもの、あるでしょう?なんか苦手なのかも、人の思いが強すぎるものとかが。資料館へは延岡市内から25分ほど。決戦のあった和田越のトンネルを越え、長閑な北延岡駅付近を通過し、間もなく看板が見えてきます。ロードサイドにはラブホテルがちらほら。田舎の淫靡感。
西郷さんが行く道を指示してくれます。「あっちでごわすよ」
看板から村中をしばし走ること3分、その資料館は姿を現します。旧家を改装した資料館。立派な建物ですが、恐ろしく閑散としています。駐車場の看板なんて凄まじい角度で倒れてました。台風かな。
資料館の目の前に顔出しパネルが、とよく見ると西郷さんと肩を組む人。「え...神話の人...」と一瞬時代背景とか諸々疑問がわき出てきますがこれがいわゆる観光地ですよね。深く考えないのが正解です。この世は四次元。
入館料200円をきっちり払い、館内へ。さすが本当に西郷さんが泊まった場所だけあって重厚感はあります。でもエントランスの鹿のはく製は無関係です。いろいろ「??」な場所。深くは考えない。
 案内人はおらず、ナレーションボタンがあって約5分ほどアナウンスが流れます。奥の人形がいつ動くかと待ち構えてましたが遂に動きませんでした。これのように動いたら面白いのに...。
無理を言って接写させてもらいました。そこそこリアル...しかし、当時の会議は鬼気迫るものだったと思います。自宅で急にこんな会議はじめられたら少しいやですがね。
他、別棟で資料館もきっちりあるので勉強もできます。すぐ近くを日豊本線が通っているので運が良ければ真っ黒い電車を拝めます。入館料200円ってとこが若干ひっかかりますが、行ってみる価値はあると思います。

西郷隆盛宿陣跡資料館 HP
延岡市北川町長井6727 午前9時~午後5時
休館日:月曜日、祝祭日の翌日、年末年始(12月29日から1月3日)
入場料:一般200円、小中学生100円

てげ場所をゆく -ひむか骨董市・九州民俗仮面美術館-

古道具欲だけが延岡に来てからなかなか満たされてません。しかし、満たそうとすると家が古い物で溢れ返ってしまうので結果的には今ぐらいの距離(古い物との)がベストなのかも。とはいえ、宮崎県内で「骨董市」「蚤の市」「ガラクタ市」等名前がつくイベントには精力的に出向いている。それは思わぬ出会いがあったりするからで、正直まだまだ宮崎、古゜テンシャル(古い物のポテンシャル)あり。しかし、いらいらするほど情報が少ない。ネットでもまったく出てこない...。今回向かった骨董市も新聞(県北民こころの新聞「夕刊デイリー」ってのがある)で発見したぐらい。つまり若者が発信、もしくは主催していないんだと思う。広く拡散するツールとしてはインターネットほど優れたものはないと思うが、わざわざ広告費を使って、しかも若者が読まない新聞広告に出すとは...。でも骨董の心は世代を超える!!年配者と戯れてこよう。

日曜日朝、7時半に家を出る。高速でびゅいーーーんと西都まで。ほどなくして会場に到着。骨董は朝が命!!だと思っていたけどまだ出店者もまばら。相変わらずゆったりしとるなぁ...。店は15ほど、でも結構気合の入った店が多くじっくり見る。店の人は「あ、この前宮崎市で見た人」や「あ、前油津で店出してた人」等さすが狭い宮崎、見た人がちらほら。

2店で4つほど購入。大判の染め布、はぎれ、壁掛け帳簿、銅のスプーン等、結構満足な収穫。また来よう。ちなみに、骨董好きの若い宮崎県民の方に少し情報を...。

●九州骨董祭り(@霧島・溝辺体育館):9/12.13・11/21.22
●日南骨董市(@油津・赤レンガ館):10/17.18・12/19.20
●ひむか骨董なんでも市(@宮崎市・㈱山崎 宮崎支店P内):10/24.25・12/26.27
 
以上の日程で開催されますが、出店者はおそらく似通ってるのでどれか一つに決めて行ってもいいかもですね。取り扱いは古布、器、民具、刀、掛け軸、軍などオールジャンル。
こんな感じ。人めっちゃ少ない。
 その後、せっかく宮崎市まで南下してきたし時間もまだ10時ってことでかねてより行きたかった場所に。その名も「九州民俗仮面美術館」。下道をぐんぐん走る。途中、巨大埴輪と少しだけアンニュイな立て看板があったのでパシャリ。
伊藤マンショさんの顔が何とも形容しがたい...
 しばらく走ると田舎道になり、看板が見えます。そこから本当にけもの道のような道(車の轍があり、周りは草が生い茂っている)を走るとほどなくして美術館が見えてきます。というか、自宅...?
 外観。長くそこに居座っている、という感じの風貌。残暑の湿った匂い、草が焼ける音、虫の声、これから起こる出会いに脳が反応します。
 エントランスを抜け、館長の男性の方に声をかける。「自由に見て良いよ、ただし写真をネットに掲載するときはキャプション付きで」とのこと。館長は何やら忙しそうだ。恐る恐る館内(というか自宅)へ、大きな梁がむき出しになった日本家屋、廊下、部屋内等いたるところに仮面!仮面!仮面!マスクというか、仮面である。一見日本のものが多そうだが一部アフリカやニューギニア等のモノも見える。こ、これは行った人しかわからない...圧倒的すぎる空間...腰抜けそう...。
 展示室は大きく2つ、壁一面に展示されている仮面。仮面が放つエネルギーは後ずさりするほど真っ直ぐ。窓全開で開放的な展示室だけどなんだかすごく息苦しいほど...笑 魚卵や肝を食べ過ぎたときに感じるあのしんどさに似ている... パワーを感じすぎたときのアレね。
廊下には草木染や骨董品等
 館長が忙しかったのは台風に備えた準備のためだった。館内には庭があり、そこで火を焚き、染色をしたりしているらしい。原始的な生活の一面。
 その後、ひと段落した館長としばしおしゃべり。大分でアート関係の仕事に携わった後、仮面研究のため15年ほど前にここ宮崎に移り住んだらしい。その後はネットで仮面や生活のことを発信しているよう。自然に関しての知識や、日本人がかつて営んでいた生活技術(草木染、狩猟など)を活かし平成の世にうまく適応させているように感じた。忘れてきたものがたくさんあるんやなぁ...としみじみ。
アフリカの仮面と日本の仮面の違い、神楽のおもしろさ等を伺い、この秋には神楽を見に行こうと心に決める。現役の仮面たちと天地創造の物語を見に行こう!!
話は尽きないが、一旦美術館を後に。美術館がある一帯は児童福祉の父、と呼ばれる石井十次という人がかつて孤児院を開校していた場所。約100年ほど前に孤児院とは...人柄と問題意識の高さが伺える...。石井さんはキリストの洗礼を受けており、その一帯には教会などもあり、なんだかおとぎの国の村のような雰囲気なのです。少し散策。
このような家が点在している。
 家々は離れていて、通ずる道は木漏れ日の射す小道ばかり。きっちり手入れされている証拠だと思う。
 そして教会へ。先ほどの館長が管理しているのか「入って右に電気あるから勝手に付けて」とのこと。というかこの教会の佇まい...そしてこの一帯...やはり「特別な」ものを感じざる負えない。手の届く範囲に幸せはあるのかもしれない...笑 モノとか便利とかではない、内に内に入っていく感じ。しまいには裏返ってしまいそう。
 教会内。今はギャラリーとして使用されている。奥の壁面は女性の象徴!?を感じる。とにかくやわらかで心地のいい空間。
 もちろん、聖母も。クラシカルなマリア...かつてマリア像を収集していたことがあったけど、行きつく処はここなのかも。やっぱり本物に勝るものなし、本物は思いや歴史が違う。
もっとゆっくりしたかったが今日は日曜日。なんだか1日分の栄養を大幅に超える量を摂取した気持ち...帰ってゆっくりしようと早めの帰宅。転勤してこないと、こんな場所がまさかあるとは一生知らなかっただろう。そしてこんな場所が日本、世界にはまだまだたくさんあると思う。たぶん、何か縁があって宮崎にたどり着いたんだろうけど、これからもっともっとたくさんの歴史を学び、そして経験していきたいなと夕涼みでビールを飲みながら思うのでした。

九州民俗仮面美術館 HP
0983-41-1281 宮崎県西都市穂北5248-13  入館無料

2015/08/29

大きな時流に乗って生活をする

2週連続で熊本空港まで行ってきた。但し今回は「行きは良い良い帰りは...」だ。妻が一時帰阪、その後、スペインへ1週間旅立つ予定。空港からの帰り、暗闇の中一人山道を快走して帰延した。ただひたすら信号のない道を進む。高速でもない、普通の国道、なのに赤信号にほぼあたらない、約2時間ずーーーっと集中して運転。こんな時、激しく物理的な距離を感じる、やっぱ田舎やなぁ。
熊本空港で食べた熊本ラーメンはおいしかった、高菜めんたいご飯も美味。酒の肴にと、からしレンコン(結局3食がかりで食べた...)、熊本ワインを購入。熊本ワインはラベルもGoodだったが味もGoood。バランスのいい白だった。

ここ1か月で季節は変化し、気持ちのいい夕暮れの日もあったし激しい台風に見舞われ、寝れない夜を過ごしたこともあった。とにかく自然と近く、自然を感じる生活。そんな写真を少し。
熊本空港にて。花柄の木箱はマトリョーショカのようでかわいい。
 約1か月前にふらっと行った2度目のOPAM。五感の食事。
 7月後半の延岡夕暮れ。月まで映るぐらい空気が透き通っていた。でも暑いかった...
数日前、台風がほぼ直撃した。鹿児島は結構な被害がでているみたい。しかし延岡もなかなかの雨風だった。特に風が強く、おまけに深夜に通過したおかげで興奮して寝れなかった...笑 もちろん海辺は凄いことに...良い流木が拾えるかもと方財に向かうもあまり収穫はなし。海辺の道に砂が打ち上げられてて車のタイヤを取られそうになった。地元の人は慣れてそうだったけど初見の私はたまげてしまった。
荒れ狂う海。海の凄まじいパワーー。ほんまちっぽけやなーー、と改めて思う。

てげ旅 -2015年・宇宙への放浪3(ゲロードをゆく)-

(おそらく原因は暑さの)悪夢でうなされたという友人を横目に、3日目スタート。珈琲を飲み、優雅な朝のひと時。関西からのお土産で頂いた「自由軒のカレー味柿の種」等をむしゃむしゃ。ゆっくり身支度をして外出。
今日も相変わらずの天気、小雨。やはり延岡の湿気はすごいらしい(友人談)。車を走らせ最初の目的地・美郷町ピザ屋さん「OttOOttO」へ。
前投稿のてげメシでも書いたように、ここが良すぎました。人里離れた立地に、こだわりを感じる店構え、そしてさらにこだわりを感じるナポリピザ一本勝負...。やはりどこにでも意欲のある人はいるもんです。
ピザを3枚、デザートピザを1枚、珈琲まで頂き大満足。店内にはオサレ雑誌「kinfolk」がさらりとおいてあり、テラスからは山々が良く見えました。
Kinfolkだけでもたまに見に来たいな...笑
なんだか妙なマッチング、自然と店ロゴ。
その後、天気も回復傾向だったので諸塚村のブルーベリー摘みへと向かうことに。途中の道は舗装さえしているもののなかなかの山道。くねくねと曲がり、ぐんぐんと登る。車酔い者続出の道。メイン道路からブルーベリー農園までの山道には、実測に基づいたであろう丁寧すぎる「残り〇Km」の看板が随所に出てくる。それがなんだか人柄を表しているようで微笑ましい。でも忠実すぎて到着までの道のりが逆に長く感じる...。
到着した「黒原ブルーベリー園」は、天空の農園だった。雨だった天気は到着してから数分で雲間が切れ、急に晴れになった。同時に下界の景色が綺麗に見える。壮大すぎる景色...無農薬のブルーベリーをかじりながら、贅沢な撮影タイム。
突然の訪問にも快く迎え入れてくれたお母さんに感謝です。
雲間が切れ、晴れた諸塚村。両サイドはおいしすぎるブルーベリー園
まさかブルーベリーを摘む日がくるなんて...と日光の激しく照りつける灼熱のハウス内で思う。汗だくになりながら、摘む摘む。急きょ開催されたブルーベリー大きさ選手権では日ごろの行いがおそらく一番良いであろう友人が断トツで優勝。日ごろの行い...大切...。
持ち帰り用にいくつかいただき、おいしくて冷たいお茶も頂き大満足。手作りらしい巨大ブランコで遊び、村営の宿泊施設などを少しみて農園を後に。下りも酔い者多数。ゲロードやな...。ブルーベリーの次は「五ヶ瀬ワイナリー」へ。果実攻め日。
途中の道はこれまた激しく山道...。水蒸気が水面付近に停滞しているダム湖や、恐ろしいほどの急カーブが続く道などを無事経て到着。
ダム湖に停滞する水蒸気。幻想的で珍しい光景。
恐ろしいほどの山道が続く。
五ヶ瀬ワイナリーは高くて見晴らしのいい場所にあった。遠くにも山々が連なり、いかにもきれいなワインが造れそう!!店内などを冷やかし、一路熊本空港へ!
熊本空港への途中、道の駅がいくつか点在しておりその一つに立ち寄る。
素晴らしい夕暮れを横目に阿蘇を抜け、熊本空港へ向かう。途中で熊本ラーメンをひっかける。「文化ラーメン」、ここがまた雰囲気、味ともにすごく良かった...。何気にgooglemapで引っかかってきただけなのに...レベル高し!!暖簾の感じとか、老舗感めちゃめちゃ良い!!食後、無理を言って暖簾前で記念撮影、お店の大将に撮影してもらったが、初めてのアイフォンなのか連射撮影になってておもしろかった...笑
一路熊本空港へ。空港内を友人と一緒にぶらぶら。そして友人は関西に帰って行った。我々は2時間かけて延岡まで車を走らせ帰宅。帰りの道路があまりにも街灯なく、しかも霧も出ていたため心細すぎた。もし一人やったらへこたれて夜が明けるまで車で仮眠してしまいそうなぐらい...。
当初の予定通りロケット見れてたらよかったけど、これはこれでいい旅やな、と帰宅してから感じる旅。なにはともあれ、ロケットが無事発射され、そして油井さんの手に物資が届けられて本当に良かった。